野口健さんが、世の中の『B面』に目を向ける理由

日本を代表するアルピニストの野口健さん。

現在も現役アルピニストとして命をかけた挑戦を続ける一方、NPO法人ピークエイドの代表として数多くの社会貢献でも知られている。

学生時代には先輩と喧嘩をして停学処分になるなど、自他共に認める「落ちこぼれ」だったという。そんな中、偶然手にした1冊(植村直己著の「青春を山に賭けて」)に感銘を受け登山をスタート。1999年には、25歳で当時の7大陸最高峰世界最年少登頂記録を樹立した。

その後はエベレストや富士山の清掃活動を始め、シェルパ基金遺骨収集活動など、取り組んでいる活動は多岐にわたり、ここには書ききれないほどだ。

現在では、15歳の娘・絵子さんとの登山もしており、7月には親子でアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロの登頂を果たした。多忙なスケジュールの中、今もアルピニストとして、そして社会活動家として動き続ける原動力とは? これまでの様々なきっかけや経験を語ってくれた。

 

昔は環境のことなんて興味なかった 

「そもそも、昔は環境のことなんて全然気にしてなかったんですよ」

今は「環境保護」のイメージが強い野口さんから溢れた意外な一言。以前は自分の名前を書いた酸素ボンベを山中に置いてきた事もあったと明かす。

そんな野口さんが環境を考えるきっかけとなったのが、エベレスト登頂。思い描いたイメージとは違う姿が待ち受けていた。

「エベレストが汚いって知らなかったんです。テレビでゴミとか写ってないし、ショックで。ギャップですよね。最初から言われていれば、そうか、と思いますけど、当時の一般的情報としては皆無だったんです」

エベレスト清掃の様子

しかしエベレスト級の登山では、ゴミを拾う余力はなかった。

「だって、いるだけで辛い。高山病もあるし、寒いし、空気薄いし、遭難者が横たわっているし、遺体もあるし。明日は我が身でゴミを拾おうとは思わなかった。キツイところなので1キロでも荷物増やしたくないんです」

山中には日本語の書かれた日本隊のゴミが多く、他の国からの指摘もあったという。

「 エベレストは世界の舞台、アルピニストにとって、オリンピックみたいなものなんですね。そこで日本のゴミが散乱しているのは悔しいし恥ずかしくて」

エベレストには2回の登頂失敗を経て3回目で登頂に成功。その後の記者会見で「エベレストのゴミ拾いをする」と発表した。

 

「こうあるべき」では活動は広がらない

道のりは平たんではなかった。

一緒に登山をするシェルパはカースト制がある文化なので、ゴミ拾いは自分たちより下の身分の人がする仕事だとして、嫌がった。それでも、野口さんたち自身が率先してやっていく姿を見せると、彼らも協力してくれるようになり、自分の村の清掃を自発的にするまで意識が変わった。

「時間はかかりましたが、活動ってやってるうちにだいぶ変わりますね。 そしてエベレストの清掃もついに、『自分たちが主導でやりたい』と言ってくれた。そして今でもその活動を続けてくれています」

富士山清掃の様子

この忍耐精神は、日本国内でも多く存在する環境団体や、その他の変革を求める団体・グループにも言えることだという。

「環境活動をやっている人は、ストイックな人が多い。それはいいことだけど、バランスを失うと自分の考え方こそが全てだとなってしまう。 一点しか見ないと、だんだん苦しくなって、活動が長続きしない。環境だけが大事な問題になって『こうあるべきだ』となると、活動の輪が広がらないんですね」

また、多くの環境団体の中には、政治・行政に嫌悪感を抱く人が多いというが、それでは前には進めないという。

「結局、ゴミを拾うだけでは問題は解決しない。そこには制度が必要で、そのためには行政に動いてもらって政治にアピールする必要があります。NPOなどは、そこに行くまでのキッカケだと思うんです」

実際2006年当時、環境大臣だった小池百合子氏(現在は都知事)が富士山清掃に参加。結果それがアクティブレンジャー制度(自然保護官の補佐役を全国に派遣)につながっている。

父親から学んだ物事の「A面」と「B面」

このように、政治を嫌悪せず上手く巻き込み、日本そして世界で変化を起こしていく姿は、外交官の父親からの影響がある。

外務省でODAの仕事を多く扱う中東専門家だった野口さんの父親。昔から海外のいろんな視察先へ連れて行かれ、様々な現場で「お前はどう思う?」と意見を聞かれ、高校生ながらも考えたそうだ。

「あれはすごく意味があったと思います。『世の中A面とB面がある』と。パッと目に見えるのはA面。例えば、エジプトのピラミッド。たくさんの観光客のいるA面。そこから小1時間行くと、すごい貧困街が広がっている、B面。 これから将来色んなことするなら、得てしてテーマのある『B面を見ろ』と言われた。子供の時から、旅も含めて、その国のA面B面を見ろ、と言うのが植え付けられているんですね」

野口さんの父親(左)と高校生時代の野口さん(右)イエメン郊外にて

その教えは野口さんの行動に繋がっている。エベレストを登り、記録を作ったA面。その裏にはゴミや、毎年遭難し亡くなる、保障もないシェルパというB面。そんなB面に目を向けて、亡くなったシェルパの子供達を預かり学校に入れよう、と発足したのがシェルパ基金だ。

父親同様、野口さんも娘の絵子さんを昔から現場に連れて行っているという。富士山清掃はもちろん、東北大震災の時も。そして熊本大地震の時は自発的に行きたいと言うようになったそうだ。

「行くと行かないとでは全く違う。 現場に行って、目で見ることは大事なんです。インターネットで調べるデータも大事だけど、現場は生々しくて匂いもある。それが、現場の現実なんです」

「 被災地にしろエベレストにしろ、B面を見ると、『何か1つできないかな』となるんです。見て知ると、何かしないと、となるんですね。親父がどこまで考えてたか分からないけど、結果的にのちの僕の人生で大きな影響を与えてくれました」

今では絵子さんは父の足跡をたどり、ピークエイドのランドセル・プロジェクトを自ら担当している。15歳の絵子さんは生徒たちと年齢も近い。当たり前のように学校に行ける日本との違いを実感し、「日本は恵まれてるな。私たち、十分に感謝できてないな」と話しているという。

絵子さんがルクラ村でランドセルを贈呈する様子

 

SDGs – はじめのー歩は興味を持つこと

国内外で大きな貢献、変化をもたらし、それを次世代に繋いでいる野口さん。今、日本でも注目を浴びているSDGs(国連が定めた持続的開発目標)が発足するずっと前から様々な取り組みを行ってきている。そのためか、逆にSDGsという言葉は特に意識していないという。

今、個人・企業のSDGsへの貢献が求められているが、私たちはどう始めれば良いのだろうか?最後にアドバイスを聞いた。

「SDGsは目標項目が17と、沢山あってすごくワイドですが、これって全部繋がってるんですよね。ごみ拾いする、それには説明や環境の教育が必要だし… 全部関係性があるんです。

全部やらなくては!と思わず、何か1つの関心事を見つけて、そこから始めると、広がっていくんじゃないでしょうか。

個人でできる事として重要なのは、とにかく興味を持つ事。例えば、被災地などを訪ねてそこでお金を落とす。それもスタートです。日本人はまじめなので、初めの1歩が重いんですが、アクションが大事なんです。

好奇心がなくては、17の目標なんて苦痛にしかなりませんが、好奇心があれば、自分の分野でどうやっていくか、と考えられると思います。だから好奇心を持てるような環境をどうやって作って行くか、ということが重要です。

その方法の1つとして、若者には是非、色々な世界を見て欲しい。そして好奇心を持って欲しい。それがアクションに繋がると思います」

健康な地球で、みんなが平等に平和に生きる。

2030年に、それを実現するための目標がSDGs(持続可能な開発目標)です。
ハフポスト「はじめてのSDGs 」では、日本をはじめ世界中の問題や取り組みを紹介。

私たちに何ができるんだろう… みんなで一緒に考えてみませんか?

Source: ハフポスト