“めがね”を変えて社会を見たら、今よりちょっと生きやすくなる…。荻上チキさん×ヨシタケシンスケさん

(左から)評論家・荻上チキさん、絵本作家・ヨシタケシンスケさん

テレビや新聞、インターネットには毎日、たくさんのニュースや情報があふれ、それらを巡ってさまざまな意見が飛び交っています。

そんな日常の中で、「~すべきだ」「~らしく」という“呪いの言葉”に縛られて、生きづらくなっている人も多いのではないでしょうか?

5月下旬に共著の『みらいめがね それでは息がつまるので』を暮しの手帖社より上梓した、評論家の荻上チキさんと、絵本作家のヨシタケシンスケさんに、そんな呪いの言葉から開放されるための方法を聞きました。

日本社会の空気感を作っているは誰なのか? 

LGBT、ディズニープリンセスの変遷、うつ病、ヨルダン、アルバイト、ガラスの天井、ヘイトスピーチ、ユーチューバー…。『みらいめがね それでは息がつまるので』には、今の日本社会の“空気感”を象徴するようなキーワードがたくさん出てくる。こうした、日本の空気感はどのように作られているのだろうか。

評論家として普段からメディアを観察している荻上さんは語る。

「テレビや新聞、ネットなどでは、人々の言葉がこだましあっていきます。そしてその中でも大きく響き合うものが出てくる。その空気は誰もコントロール出来ないまま、責任をとることもないまま一人歩きをしてしまうことがしばしばあります。

それは時に誰かを攻撃する言葉になることもあるけれど、他人に攻撃されないように、たとえば、『すっぴんでごめんなさい』とか『こんなおっさんで、ごめんよ』といったエクスキューズをつけることで、“自分を叩かないで”という空気が生まれることもありますよね。でもそうすることで、これ以上のもの、たとえばエキスキューズがないもの、は叩いていいんだというような、線引きをつくりだすことになる。それがネットの炎上の攻撃性を強化することにつながっています。

そうした流れの中で、政治や社会問題だけではなくさまざまなものにおいて、「〜すべき」「〜らしく」といった言葉が生まれていく。これを本の中では“呪い”と呼んでいます。メディアを通じて空気感を観察しながら、人に呪いをぶつけると、自分に返ってくるから、『せーの!』で一斉に、やめようよと日々考えています」

一方、本の挿絵を担当したヨシタケさんは、SNSもやらず、テレビもみない。言わば、荻上さんが感じている社会の“空気感”や情報を自分のなかに入れないスタンスを貫いている。

「情報を入れないようにしていると、逆に過敏になっていって、情報が入ってくることが怖いと思うようになる。でも現代の日本では、情報を入れないことがどれだけ大変か。一生懸命目を瞑って、耳を塞いでいないとどんどん余計なものが入ってきてしまう。僕が気をつけていても、妻や周囲の人たちと話しているうちに、触れてしまうことがありますから。

そんななかで、自分を保っていく難しさを感じます。だって、全く知らない、顔も見たこともない、名前を明かすつもりもない人たちの悪口が入ってくるって、不思議なことだと思いませんか? そういう雑音みたいなものにいちいち自分の“気”を動かされたくないと思っているけれど、ではどうすればいいのかという答えは、まだ持ち合わせていません。

でも、僕のように情報に弱い立場の人たちが自分を保つためには、情報や人の悪意を『それってこういうことなんじゃない?』『こういうふうに考えればいいんじゃない』と違った見方に置き換えられるような選択肢を増やしていくことが大事なのではないかと思っています」 

それに対し、荻上さんは、ヨシタケさんのように自ら積極的に情報に触れない人がいることにも意味があると話す。

「あえて、そういったものに接しないという人がいることで“多様性”が確保される。ネット上などで特定の価値観だけが浸透することが防がれているということだから。僕も、最近ではあまりSNSなどに投稿しないようにしているんです。ただ、さすがに介入が必要だよねと感じたときに、異論を招くために投稿することはあります。違和感を感じたときだけ、『これはおかしいよね』という形で。しかし、何かあったらずっとネット上で違和感を投稿し続けなくてはいけないとなると、疲れてしまうし、自分が壊れてしまうので、自分に余力があるときに限っています。このあと子どもの面倒をみないといけない、なんてときは絶対にしません。SNSなどから距離を置くオフの時間を作らないと、オンの質も上がらないということを普段意識しています」 

絵本作家・ヨシタケシンスケさん

メディアで繰り広げられる「呪い」の応酬

SNS上で誰かが、誰かを非難したり、差別したりするような投稿をみかけたら…。

荻上さんのように違和感を「これはおかしいよね」と投げかけるのも、ひとつの声の上げ方なのかもしれない。

あえて情報を入れないヨシタケさんは、そんなネット上での悪意に対して、ある種の“罪悪感”があるという。

「SNS などを一切やっていないことで、僕はいろいろなものに目を閉じてしまっていることにすごく罪悪感があるんです。本当は考えなくちゃいけない、アクションを起こさなくちゃいけないのだろうけれど、僕がしなくても誰かがやってくれるだろうとなんとなく思ってしまう。そうこうしているうちに、状態がどんどん悪くなっていってしまったら、共犯としての居心地の悪さを感じることになるんです。同時に、問題を立ち上げて、解決に向かわせる方法があるはずだと信じて行動している、チキさんのような人に対する申し訳なさもある。

じゃあ、自分はどうやってその申し訳なさに決着をつけるのかが、すごく難しい問題だなと思っていて。だから『みらいめがね』の仕事は、自分にとってその罪悪感と大きく関係していて、行動を起こせない人の選択肢を増やすことにはつながるのではと」

ヨシタケさんがこう語るのには、荻上さんの本書にかける並々ならぬ思いが背景にあった。日々メディアやネットで繰り広げられる「呪い」の応酬を見ながら、荻上さんに芽生えた思いとは…。 

「この本は、同じテーマでもメガネを変えたら違う見方ができるよというのを、チキバージョンとヨシタケバージョンで見せています。僕がヨシタケさんの絵が好きな理由のひとつに、自分を卑下するとか、他人をこき下ろすモードがないという点があります。『ちょっと失敗しちゃった』と自分の頭をかくような、でも自虐ともちがうスタイルで描かれているんです。

ネットに限らず、メディアは、そのスタンスを人に感染させる効果があります。いわゆる“ネットワーク理論”と呼ばれるものですが、人は生きているだけで、その人の友人の友人の友人くらいまでは、態度の感染に影響を与えるんです。だから、ある人がネガティブな感情で日々生きていたら、周りの人たちにもネガティブな態度がちょっとずつ感染していく。逆に、ある人がすごくポジティブな態度をしていたら、それもある程度広がっていくんです。

だから、決して人を見た目でバカにしないとか、あるがままをまずは肯定することの大切さが伝わるヨシタケさんのイラスト世界が、“めがねのつけかえって楽しいですよ”という今回のテーマにぴったりだと思います。

それが、ちょっとしんどいなと感じていたり、周りをしんどくさせている”呪い”のモードを少なくしていこうという提案にも繋がったりしているんです。そうした提案を、ネットではなく、スローメディアである本ですることにも大きな意味があると考えています」 

ヨシタケさんは、荻上さんの言葉を受けて、続けた。

「チキさんの文章に対して、チキさんとは真逆でメディアや情報に触れていない僕だからできる提案があるのではないかと思っていました。SNSや情報を見る人と見ない人が混ざり合っていく可能性がゼロではないと。世の中に対してNOというのは、相手を怒らせることだけがNOではないはずです。炎上させることだけが人の注目を集める手段じゃないはず。ときには茶化したり、笑わせたり、不謹慎じゃないギリギリラインで、笑いの方向に持っていって、ネット上では届かない人にも、たしかにそうだなと思ってもらう選択肢をふやしていくことは、マイナスじゃないはずですから。

でも毎回、チキさんから原稿がきて読むたびに、『わー、難しいわー』って思っていました(笑)。ただそれが僕の仕事ですし、どうやって打ち返すのかがやりがいだし、おもしろい。めがねを変えることのおもしろさだったり、大事さだったりを強調するイラストを書きたいなと思いながら、とはいえ難しいよねっていうことも一緒に伝えたいとは思っていました。言われたとおりにできたら苦労しないんだけれどね、と。だけど、こうすれば、ちょっとだけでも変えることもできるかもねという、低い目標みたいなものを提案することは意識していたつもりです。何より僕自身がそれくらい低い目標じゃないとできないよと思っているので」

評論家・荻上チキさん

つけかえる“めがね”を増やすには?

今まで当たり前のようにつけていためがねを変えてみたら、世界はどんな風に変わるのだろうか。試してみたいが、つけかえるめがねなんて持っていないという人も多いのではないだろうか。めがねを増やす方法を二人に聞いてみた。

荻上さんは…

「本や漫画、映画をたくさん読んだり、見たりすることだと思います。僕は大学時代に、障がい学、ジェンダー論、メディア論などさまざまな分野を学んでいく過程で『これについて自分はこう批判する気持ちがあるけれど、相手が女性でも同じように批判するだろうか』『子どもだったら同じような口調で批判をするだろうか』『外国人だったら?』と置換する作業を経て、言葉に出すようになっていきました。そうしないと差別を孕んだ攻撃をしてしまうかもしれないし、自分の感情の中にバイアスがあるかもしれないからです。

そのためには『あの人にも言うだろうか』というキャラクターを自分の中に増やさなくてはなりません。いろいろな登場人物に感情移入したり、多様な世界の置き換えを堪能できる物語に触れまくるということは基本的にプラスになるはずです。自分以外の視点を得るには、究極、他人と話すか何かを読むか、見るかしかないと思う。

他人と付き合うなかで言葉が厳しくなって突き放す経験をしてきた人は、いきなり他人と接するのではなくて、エッセイを読むといいですよ。僕もこのエッセイを書くようになってから、『ベストエッセイ』とタイトルに入っている本を片っ端から買って読んでみたんですけど、エッセイは人の人生ってこんなに多種多様なんだって教えてくれる。いちばんのおすすめは多読です」

一方、ヨシタケさんはというと…。

「僕は、勉強するのが嫌いなので、たとえば妻との喧嘩をどうやったら減らすことができるかを考えて実行することで、修行しました。

誤解を恐れずに言えば、妻と自分のゴミの捨て方が違うということと、戦争が減らないということは、遠いようでいて、根源は同じような気がしているんです。たとえば、『人のことが許せない』『自分ができることを、どうして相手はできないのか』と攻撃してしまうようなこととか。

そして、人が他人を認められなかったり、自分の価値観を押し付けたくなったりしてしまう現象は、家族で暮らしていると往々にして起こる。たとえば、妻がしていることを見ていて、嫌味が100個くらい思い浮かんだとします。その場で自分の言いたいことを言ったら、事態を好転させるどころか、悪化させてしまう。それを僕は結婚生活で学びました。だから、その100個の嫌味を飲み込むわけです。

世界の秘密を知るために、世界中を旅行する必要はありません。ひとつ屋根の下にこんなにわかりえない人がいる。わかりあえなくても一緒にいられるということは、その人のわからない部分を許すことができるということ。それができれば、世の中で起きていることも許せるようになるだろうし、譲歩案を見つけることに繋がるはずです。そういう小さいところから人の癖や弱さが学べるはずなんだけど、そんな理想通りに行かなくて、お互いに余裕ないよな…ということがたくさんあることもだんだんわかってくるものなんです。だから理想通りに行かなくても、10回に1回、喧嘩が減らせたら、それって大きな希望になっていきませんか?

僕みたいにたくさんの情報が入らない人でも、自分の身の回りで、一番近くにいる人にイラッとしてしまう理由をとことん考えていくと、『自分と相手は違う人間なんだ』という当たり前の結論にいきつきます。そして世の中は理屈では動いていなくて、感情で動いている部分が大きいと気づいたら、世界の見え方が変わってくるのではないでしょうか」

世界を見るめがねが単種多様にあるならば、めがねの見つけ方も人それぞれなのかもしれない。めがねを上手につけかえて、日常と世の中の呪いを解き、今抱えている“生きづらさ”を手放していこう。

文・荻上チキ 絵・ヨシタケシンスケ 『みらいめがね それでは息がつまるので』(暮しの手帖社)

 『みらいめがね それでは息がつまるので』文・荻上チキ 絵・ヨシタケシンスケ 定価:1,620円 (税込) 暮しの手帖社より好評発売中

Source: ハフポスト