【編集マツコの 週末には、映画を。Vol.12】「アマンダと僕」

こんにちは。ふだんは雑誌『オレンジページ』で料理ページを担当している編集マツコです。
映画館で上映中に出て行って戻らない人がいると、ちょっとドキッとします。トイレだったら戻るはずなのになぜ? 急用ができたかよっぽど映画がつまらなかったか、どちらかだとは思いますが、心配性なマツコは「あの人、まさか爆弾を仕掛けて去ったんじゃ……」とドキドキしてしまうのです。1分後には忘れちゃうんですけどね。人に言うたびに笑われます。

これ、笑い話にしちゃってますけど、テロ事件がここ数年続くヨーロッパではもちろん笑いごとではないですよね。
特にフランスは大規模なテロに立て続けに見舞われ、厳戒態勢が続いているそう。
今回紹介するフランス映画『アマンダと僕』の主人公も、このような悲しい事件で大切な人を失います。
悲しみに向き合おうともがく登場人物たちを優しく見つめるようなストーリーに、「見て良かった」と思える映画でした。


マツコは人の死がテーマになっている話が好きではありません。死のパワーが圧倒的過ぎて、人が亡くなる話はどうしたって悲しいし、非道な人物も死ぬと責めにくい。
逆に言うと観客側として感情の選択肢がないような気になってしまうのです。
この映画はちょっと違う。
登場人物は確かに泣いたり打ちひしがれたりするのですが、お涙ちょうだい的な押しつけがなく、ある意味その様子を淡々と描いている印象です。


ダヴィッド(ヴァンサン・ラコスト)はアパートの管理業務をメインに、便利屋業として働く青年。
近くに住む姉サンドリーヌ(オフェリア・コルブ)とは親しく、教師として働きながら女手ひとつで娘を育てる彼女の代わりに、7歳の姪アマンダ(イゾール・ミュルトリエ)を学校に迎えに行くこともしばしばです。
シュークリームが大好きだというアマンダは、ちょっとムチッとした女の子。7歳らしいあどけなさと、急に見せる聞き分けの良さなど大人っぽい部分が共存しているのは、家庭環境のせいもあるかもしれません。ある日、サンドリーヌはテニスのウィンブルドンのチケットを取り、一緒に行こうとダヴィッドを誘うのですが、真の目的はロンドンに住む2人の母親に会いに行くこと。20年以上会っていないとのことなので、2人が小さい頃に何らかの理由で離ればなれになったのでしょう。せっかくロンドンに行くのだからと説得するサンドリーヌに対し、「悪いけど、僕はいい」と顔を曇らせるダヴィッド。

ダヴィッドはアパート業務(観光客に滞在用のアパートを紹介してる)のほかに、公園の木の剪定などもこなす、まさしくなんでも屋。教師という安定した職業に就く姉とは対照的で、アマンダのお迎えに遅れてしまうなど、ふらふらと頼りない印象も。この手の男子、どの世代にもいると思いませんか? ひょうひょうとしていて、男女問わず割と好かれるタイプかと。恋人にしたら大変そうですけど(笑)。演じるヴァンサン・ラコストさん、イケメン過ぎず、でもどこかエレガントさは感じる絶妙な配役です。
こんな叔父さんがいたらいいですよねえ。アマンダももちろん彼のことが好きですが、そこにいるのが当たり前すぎる存在として接しています。ダヴィッドにとっての彼女も、責任が伴わない範囲での可愛い姪っ子といったところだと思います。


そんな、ささやかながらも幸せな日常を奪ったのは、突然起きた銃によるテロ事件。
サンドリーヌはその犠牲となり、ダヴィッドがアパート斡旋で知り合い親しくなったレナ(ステイシー・マーティン)もまた、この事件で右手を負傷し心に深い傷を負ってしまいます。
突然人の命が奪われるという可能性について、きっとフランスやほかの欧米諸国の人々は、テロ事件を真っ先に思い浮かべるのでしょう。
この映画、実はパリが舞台。ただ、世界中の人々を魅了する観光都市としての華やかな姿はほぼ出てきません。
公園や大通りの緑が映る美しいシーンも多いのですが、その後ろには銃を抱えた兵士たちがところどころで警備にあたる、現在のパリの現実がそこにはあります。


ダヴィッドがサンドリーヌの死をアマンダに告げる場面。
2人とも号泣……の展開になりそうですが、母親が銃で撃たれたこと、彼女はもう戻ってこないということを告げても、7歳の少女にはピンときません。
「でも、なんで大勢の人を撃ったの?」とややピントがずれた質問に、ダヴィッドだけが涙が止まらない。少し経ってからようやく事態を呑み込めたのか、アマンダは突然泣き出します。
どちらにとっても大切な人の死。ですが、2人の間には「悲しみの時間差」があり、大人であるダヴィッドと7歳のアマンダは、同じ人の死を同じスピードでは分かち合えないのです。
死んだ者、遺された者という線引きだけでなく、生き残った人たちの間にも心の距離ができてしまうことが辛すぎます。
まだ24歳のダヴィッドは、アマンダの保護者として彼女を育てていく自信がなく、施設に入れることも検討し……。
ダヴィッドには仕事もあるため、彼にとって父方の叔母であるモード(マリアンヌ・バスレー)の家と、行ったり来たりを繰り返すことになるアマンダ。こういう暮らしは子供にとってストレスですよね。「あっちこっちは嫌!」と駄々をこねるのですが、余裕のないダヴィッドは「わがまま言うなよ」としか言えません。
ところがある日、「今夜は叔父さんと一緒がいい。行かないで」と涙を見せるアマンダに対し、その不安が伝わったのか、ダヴィッドはアマンダをぎゅっと抱き寄せ「明日には会えるから」と落ち着かせるのです。
はっきり「この瞬間」というのはないのですが、母親を亡くし、さらに叔父も自分から離れていくのではないかというアマンダの不安を、ダヴィッドがだんだんと理解し、いつしか彼女の側にいたいと思っているのが分かります。


この映画を見て、「肉体の持つ強さ」を感じました。
とてつもない悲しみに見舞われたとき、優しい言葉や気遣いは無力なように思います。
それよりは強い力でぎゅっと抱きしめてほしい、そんな風に思うのではないでしょうか。
ダヴィッドと前述のレナは映画の中で2度身体を重ねるのですが、最初は事件前。いかにもフランス人らしい、真似したいけど真似できないさりげなさでダヴィッドはレナを抱き寄せます。
事件後の2人の情事は、もっと切羽詰ったもの。それで悲しみが消えるかのように、お互いを激しく求め合っている気がしました。

あとね、スポーツの場面が多いんです。ダヴィッドが事件後に友人の前で涙するシーン、目の前ではサッカーをする若者たちの姿が。悲しみに暮れる人たちと、ボールを奪い合うプレーヤーたちの「静と動」の対比がとても印象的です。
そしてウィンブルドン! サンドリーヌが取ってくれたチケットで、2人はテニスを見にイギリスに向かうのです。
激しくボールを打ち合う選手たちの姿は、まさに生きていることの象徴。体を動かす、それ自体の圧倒的なパワーを感じずにはいられません。
そのパワーが、悲しみを抱える2人にも伝染しているような……。


冒頭でも書いたように、この映画にはわざとらしい感動ポイントはありません(でも感動します☆)。
悲しみの乗り越え方を描いているのではなく、悲しみを乗り越えようとする2人をそっと見守っている。
また姉の死によって、自分たちを捨てて行ったと思っていたダヴィッドの母親への気持ちにも変化が。
生前にサンドリーヌが取ったチケットが、彼女の死後、弟と母親、そしてアマンダを引き合わせるところに希望があるのかな……。
悲しみが起点になるストーリーですが、最後はすがすがしく優しい気持ちで映画館を出られると思います。

実はマツコも姉弟のきょうだい構成。しかも6歳の姪っ子がいるので、めちゃめちゃ感情移入してしまいました。


東京・目黒のcookie.G(クッキー・ジー)さんでは、映画をイメージしたクッキーを期間限定で販売中。
アマンダのむっちり体形がしっかり再現されています。

「アマンダと僕」 6月22日(土)より、 シネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開
©2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

【編集マツコの 週末には、映画を。】
年間150本以上を観賞する映画好きの料理編集者が、おすすめの映画を毎週1本紹介します。
文・撮影(クッキーのみ)/編集部・小松正和

次回6/28(金)は「ペトラは静かに対峙する」です。お楽しみに!

Source: オレンジページ☆デイリー