大相撲を愛して、25年あまり。熱狂的ファンのアメリカ人が、相撲界に伝えたいこと

大相撲夏場所3日目/金星を狙う小錦

大相撲5月場所と言えば、大一番やドラマが多いとも言われ、相撲ファンには人気の高い場所である。

横綱・千代の富士と、当時、前頭筆頭・貴乃花が繰り広げた名勝負も5月場所だった。

2人の横綱をはじめ、人気力士がそろい今場所はトランプ大統領が千秋楽観戦を希望しているとも伝えられ、より一層、注目が集まっている。

デパートの電化製品売り場においてあったテレビがきっかけ

私は相撲好きが高じて佐渡ヶ嶽部屋の後援会にまで入った。なぜそんなに相撲が好きなのかと聞かれることがあるが、好きという感情が先に立ち、冷静に伝えようにも言葉すら浮かんでこない。それくらい相撲が好きだ。簡潔には言いようのない気持ちを、相撲に出会った時に立ち返り考えてみようと思う。

私が相撲に興味を持ったのは、日本に留学したばかりの90年代初めのこと。若花田・貴花田兄弟の「若貴人気」や武蔵丸、曙の活躍が目覚しかった。

最初に相撲を観たのはデパートの電化製品売り場においてあるテレビが映し出す取組の様子で、日本では相撲は人気のスポーツだと聞いていたのに土俵の周りはガラガラに空いていた。

今考えてみれば、どうしてガラガラだったのかはすぐにわかる。

私が観たのは昼過ぎくらいで、幕下が勝負をしている時間である。幕下の取組から見ているのは本当の「通」で、多くの人は人気力士の登場する頃から土俵際に座るように思う。 

しかし、何も知らなかった私は、観客もいないところで淡々と取組がなされている様子を伝える画面を見て、本当に相撲は人気のあるスポーツなのか?と首を傾げた。

何が人気なのだろうか…。持ち前の好奇心と何事も実際に自分の目で確認したいという性格が手伝って、私は国技館に相撲を観に行くことにした。

当時、留学生であった私に、日本人の友人が「当日券の席は一番後ろだけれどとても安い」と教えてくれたので、朝6時から窓口に並んでチケットを入手。初めての観戦で相撲に魅了されてしまった。

激しいぶつかり合いの中に垣間見る巧みな戦略。

何より武器も持たずに1対1で臨む姿の勇ましさ。

アメリカのプロスポーツでは相手を挑発する行為も多くみられるが、相撲には一切それがなく、相撲の取組には礼儀正しさ、伝統の継承、そして力士の所作や土俵の様式に見る宗教的特徴、さらに日本人の美徳ともいえる「謙遜」が随所にちりばめられていた。

それからというもの私は留学中の2年間、東京場所に30回は足を運んだ。

早朝に当日券を入手してから講義を受け、講義終了と同時に国技館へ走り、決まり手や戦略を駆使する力士の本気でぶつかり合う臨場感を大いに楽しんだ。当時は時代もとても寛容で、昼頃は升席が空いているからと、一番後ろの席にいる私を土俵際に案内してくれることもよくあった。そして、すべての場所をテレビで観戦。たとえ友人と遊んでいようとも好きな力士の取組の時間になれば電気店のテレビの前に立ち、応援したものだ。

日本人の友人もあきれるほどに相撲にのめりこんだ私は、帰国後もその熱を心に燃やし続けた。そしてクイン・エマニュエル外国法事務弁護士事務所の東京オフィスの代表となり、とうとう佐渡ヶ嶽部屋の後援会に入った。

親方と親しくしていただくまでには朝稽古の見学へ赴き、稽古を見せていただくことから始めた。私は、失礼のないようにスタッフを通じて知り合った専門家に見学の心得について事前に聞いた。すると、足袋の代わりに靴下をはき、胡坐をかいてもいいが、足を投げ出したりせずに行儀よくしなければならないと厳しく言われた。

やや緊張しながらも門を開けてしっかりと挨拶し、受け入れてもらえてホッとしたことを覚えている。

稽古は早朝から始まり、一般には8時半ごろから公開される。土俵前の板の間にすわり、声を立てずに2時間余り見守る。稽古の進め方は親方が力士たちの様子を見ながらになるので、いつ終わるのかもわからない。しかし、朝の冴えた空気の中で、力士の体から上り立つ水蒸気となった汗や、ぶつかり合う力士たちの気迫に圧倒されっぱなしで、気がつけば「ちゃんこ」の時間となっていた。

ちゃんこの時間は、私たち見学者が親方にもてなしてもらいながら、若い力士よりも先にいただく。まわしをしめた力士が傍らで「おかわりはいかがですか?」と聞いてくれる。弟子入りしたばかりの力士はまだ10代半ばの人もいて、幼さが残っている。

親方は、緊張している弟子と冗談を言い合いながら、まるでわが子のように接していた。そんなあたたかさに触れ、私はますます相撲も親方も好きになり、佐渡ヶ嶽部屋に足しげく通い、タニマチとしてお付き合いをさせていただくようにまでなった。

伝統や礼節を重んじる相撲の世界。私はこよなく愛している。

ところが、ここにも変革は求められているようだ。2018年4月に行われた京都の大相撲の巡業で、土俵で倒れた舞鶴市長に心臓マッサージをしていた女性に土俵から降りるよう命じ、物議を醸した事件があった。

これを機に相撲協会は、女人禁制を全面否定するとの見解を示した。

(相撲の土俵は)男性が必死に戦うところであり、それを守りたいのであって女性差別ではない、女性にも愛される競技という存在でありたいという趣旨であった。

しかし、いささか言い訳がましく聞こえることは否めない。世論調査の結果など明確な傾向は示せないまでも、物議を醸すという状況自体が変革の是非を世論が問うているのだと言えないだろうか。

相撲だけではなくあらゆる物事に対して、私は、差別はあってはならないと思う。私はユダヤ系アメリカ人であるが、ユダヤ教のなかでも長らく認められていなかった女性のラビ(宗教的指導者)を認め始めている団体も表れた。紀元前からの歴史を持つ宗教も変容しつつある。

日本でも、明治時代の文明開化を振り返ってみれば、当時、西洋料理や洋装、欧米の近代思想が紹介されて人々の暮らしは変化した。現代も同様、IT技術の発展によりグローバル化は加速度的に進み、日本においても世界各国の価値観に触れる機会も頻繁となった。こうした刺激によって、より多様性に対応した変化は世界中で同時発生的に起きているのだろう。世界中からの刺激によって、大相撲が、そして、日本がどのように変化するのか楽しみである

Source: ハフポスト