内田裕也さんは、ロックンロールに人生を捧げた。「ヒット曲ない」と自嘲する“ロック界のドン”

ロック歌手の内田裕也さんが3月17日、79歳で逝去した。“ロック界のドン“として圧倒的な存在感を放っていた内田さんだが、当の本人は、「ヒット曲がない」と自嘲していたという(朝日新聞2018年8月3日朝刊)。

内田裕也さん(2018年)

しかし、日本の野外ロックフェスティバルの原点とも言われる「ワンステップ・フェスティバル」を開催するなど、日本ロック文化の振興に尽くした。

■プレスリーに憧れ…ほうきでロック

内田裕也さんは1939年に兵庫県に生まれた。

高校時代にエルビス・プレスリーに憧れを抱き、ほうきをギター代わりに一日中ロックンロールに酔いしれる日々を送ったという。

その後高校を中退すると、上京し音楽活動を始める。1958年に自らのバンド「ブルージーン・バップス」を結成。1966年にビートルズが来日すると、ザ・ドリフターズやブルーコメッツなどと並んで前座としてステージに立った。

■野外フェスの「原点」開催…ロック文化の振興に寄与

自身もロックンローラーとしての活動を続けながら、ロック文化への振興にも寄与した。

1967年には女性ロックシンガーの麻生レミさんを擁して「フラワーズ」を結成。その後ボーカルのジョー山中さんなど新メンバーを加えて「フラワー・トラベリン・バンド」とし、海外展開を本格化。セカンドアルバムの「SATORI」は海外でも高い評価を得た

1973年にフラワー・トラベリン・バンドは解散。その年の10月に樹木希林さんと結婚する。樹木さんとは離婚をめぐり訴訟を起こすなどし、結婚から約1年半で別居となったが、生涯夫婦関係を貫いた。

この頃から、ロックフェスティバルのプロデュース役として活動が本格化し、1973年の大晦日に始めたオールナイトコンサートは「ニューイヤーロックフェスティバル」として2019年の元旦まで計46回も続いた。

1974年には、佐藤三郎氏と「ワンステップ・フェスティバル」を福島県郡山市で開催。自らがかつてスカウトした沢田研二さんやアメリカからオノ・ヨーコさんも参加する大型イベントで、日本の野外ロックフェスティバルの原点とも言われている。

映画俳優としても活躍。「十階のモスキート」や、自ら脚本を担当した「コミック雑誌なんていらない!」などに主演した

1991年には東京都知事選に出馬。「GOMI SEISOU関係の人たちは給料を大UPする」などとした一方で、「KANEが入るとすぐに使ってしまう!」など自分の欠点をさらけ出した独特な公約を掲げた

政見放送では冒頭からジョン・レノンの「パワー・トゥー・ザ・ピープル」を歌い上げた

2008年にはモデルとしてイベントに参加

スポニチによると、2017年には脱水症状で倒れ、以降は車椅子生活を余儀なくされた。

2018年には妻・樹木希林さんと死別した際には「安らかに眠ってください。見事な女性でした」とコメントを寄せていた。

 

Source: ハフポスト